深夜1時半。スマホを置いて、天井を見て、思う。「自分はスマホ中毒だ。もう普通の人には戻れない」。その一言、対策のつもりで自分を刺していないだろうか。

「自分は中毒」と考えるのは逆効果?
その「中毒」という枠組み自体に、研究者の間でも議論がある。
スマホの使いすぎを扱った文献レビュー(Panova & Carbonell 2018)は、これを「依存症」の枠組みで捉えることに疑問を呈し、多くの場合は「問題のある使用」と呼ぶのが適切だと論じている。少なくとも、自分に安易に「中毒」のラベルを貼らなければならない理由はない。
そして「中毒」というラベルは、変えられない性質の宣告のように響きやすい。性質の宣告を受けたと感じた人が、行動を変える気力を保つのは難しい。同じ90分の夜スマホでも、「自分は中毒だ」と考える夜ほど、どうせ自分はそういう人間だ、と長くなった経験はない?
ラベルを貼らないなら、何と呼べばいい?
「夜スマホの習慣」。事実の記述に戻すだけでいい。
「自分は中毒」と「自分には夜スマホの習慣がある」は、同じ現象の描写だ。だが含まれている情報が違う。
- 「中毒」は人格の話に聞こえる。主語はあなた自身だ。
- 「習慣」は行動の話だ。主語は行動で、行動には引き金と手順がある。
習慣として記述し直すと、急に具体的になる。何時に、どこで、何の引き金で、どのアプリを開くのか。引き金と手順が見えれば、そこに介入できる。人格は今夜変えられないが、アプリの置き場所は今夜変えられる。
ひとつ添えておく。これは医学的な診断の話ではない。つらさが深く、生活への支障が続いている場合は、ひとりで抱えずに専門の窓口(よりそいホットライン 0120-279-338・24時間・無料)や医療機関への相談を検討してほしい。
自分を責めるのをやめたら、甘えにならない?
ならない。責めることが対策として機能していないだけだ。
自分を強く責めることが立ち直りを助けるという確かな根拠は乏しい。責める言葉は、危機感を生む前に気力を削りやすい。「昨夜も見た自分」を裁く時間を、「今夜の引き金を1つ塞ぐ」作業に回すほうが、同じ5分の使い道として実利がある。
今夜の一手: 言い換えと配置換え
今夜は2つ。どちらも1分かからない。
- 頭の中の「自分は中毒」を「自分には夜スマホの習慣がある」に言い換える。声に出さなくていい。
- その習慣の引き金になっているアプリを、ホーム画面からフォルダの奥へ移す(約30秒)
ラベルは剥がす。習慣は設計で扱う。あなたに必要なのは宣告ではなく、手順の変更だ。


