走ろうと決めた夜がある。翌朝、勢いよく走り出して、数分で息が上がって歩き、そのまま続かなくなる。走れなかった自分を責めて、また靴をしまう。でも、入り口はいつも全力でなければいけないのか。歩きと走りを交互にする入り方が理にかなうのか、健康との関連と消費エネルギーの違いから正直に考えてみたい。

歩きを混ぜると、運動として弱いのか?

消費エネルギーをそろえて比べると、歩行と走行の生活習慣リスク低下はおおむね同程度だと報告されている。 Williams と Thompson が2013年に大規模な観察コホートで比較したところ、同じ消費エネルギーあたりの高血圧・高コレステロール・糖尿病・冠動脈疾患のリスク低下は歩行と走行でおおむね同程度で、歩行の係数はむしろ同等以上だった。観察研究なので因果は限定的だが、少なくとも「歩きは走りに劣る運動」という前提は、そのままは成り立たない。歩きを土台にすることは、入り口として弱くはない。

では、なぜ走りを混ぜるのか?

走行は同じ距離を短時間でこなす分だけ、体重あたりの負荷が高いと報告されている。 1985年の代謝解析では、体重あたり同じ距離の消費エネルギーは走行が歩行より有意に大きかった。Loftin らの2010年の報告でも、1マイルあたりの総消費エネルギーは歩きも走りも近い一方、走ると時間あたりの負荷が上がる。だから続けにくい人にとっては、負荷の高い走りをずっと続けるより、歩きを挟んで負荷を分散させるほうが現実的だ。ここで引いているのは負荷と時間効率の話で、特定のやり方の優劣を示した研究ではない。

全力でなくても、積み上がるのか?

歩数が多い人ほど全死因死亡リスクが低く、恩恵は歩数の増加とともに頭打ちになる関連が報告されている。 Paluch らが2022年に15の国際コホートを統合したメタ分析では、歩数が少ない群より多い群で死亡リスクが低く、最適域は60歳以上でおよそ6,000〜8,000歩、60歳未満で8,000〜10,000歩と整理された。観察研究なので因果は示せないが、極端に追い込まなくても、日々の積み上げが関連づけられている。だから入り口は、走れた距離ではなく、続けられた回数で数えていい。当社が独自の目標歩数やペースを新しく作ることはしない。

今夜の一手: 明日の道に「歩く区間」を先に決めておく

明日歩く道を思い浮かべて、そのうち走る区間を一つだけ、電柱から次の電柱まで、と先に決める。あとは歩く。全力で走り出して数分で潰れるより、歩きの中に短い走りを一つ置くほうが、次の日もまた靴を履ける。入り口は、負荷の高さではなく、また戻ってこられる軽さで選ぶ。痛みや体調の異変が続くときは無理をせず、医療機関に相談を。効果には個人差があります。