信号待ち、電子レンジの前、話の切れ間。ほんの数十秒の手持ちぶさたが訪れた瞬間、気づけばスマホを開いている。見たいものがあったわけでもないのに、指が勝手に動く。それは意志が弱いからなのか。退屈とスマホ使用の関連を調べた研究を手がかりに、責めずに整理していく。

大きな四角い空白へ黒いスマートフォンが近づく静物画像

退屈とスマホ使用には、どんな関連があるのか?

退屈しやすい人ほど、問題的なスマホ使用の得点が高いという関連が報告されている。

大学生515人を対象にした横断研究では、退屈しやすさ(boredom proneness)が高い人ほど、手が伸びて止まりにくいスマホの使い方の得点が高いという正の関連が報告された。見逃し不安(FOMO)や注意のコントロールとも関連し、退屈がそれらのあいだをつなぐ役割を果たしていた。スマホは、退屈という居心地の悪さを、いちばん手早く埋めてくれる刺激だ。だから手が伸びるのは、意志の問題というより、退屈への自然な反応として読める。

その関連は、「スマホのせい」を意味するのか?

一時点で測った横断研究のため、因果の方向までは特定できない。

ここで立ち止まりたいのは、関連と原因は違うということだ。この研究は一時点で測った横断研究なので、退屈がスマホに手を伸ばさせるのか、それとも使いすぎが退屈への耐性を下げるのか、どちらが先かは分からない。おそらく両方が絡み合っている。だから「スマホが退屈をつくった」とも「退屈な自分が悪い」とも決めつけず、退屈という状態への反応が起きている、と眺めるのが正確だ。関連はあっても、本人の弱さの証明ではない。

責めずに、何ができるのか?

手が伸びる瞬間の「間」に、別の小さな行動をひとつ置いておく。

退屈を消そうとするより、退屈を感じた瞬間に何が起きているかに気づくほうが現実的だ。手が伸びかけた「間」に、数十秒でできる別の行動をひとつ用意しておく。立ち上がって水を飲む、窓の外を見る、深く一呼吸する——どれでもいい。うまくいかない日があっても、それは失敗ではなく、退屈への反応を観察する練習の一部だ。自分を責める材料にしないことが、いちばんの土台になる。

今夜の一手: 手が伸びた回数を、責めずに一度だけ数える

今夜スマホを遠ざける必要はない。決めるのは、退屈でスマホに手が伸びた瞬間を、一度だけ「あ、いま退屈だな」と心の中で名づけること。やめさせるためではなく、気づくためだ。気づけた回数は、あなたが自分を観察できた回数でもある。