スマホから顔を上げると、案外、空が広い。取り戻した時間で外を歩くとき、足元の画面ではなく、頭上の大きなものに目を向けてみる。「畏敬(いけい)の念」——大きさや不思議さに心が動く感覚には、実は研究がある。過大に持ち上げず、静かに紹介したい。

「畏敬の散歩」で、気分は変わる?

大きなものに意識を向けて歩くと、前向きな感情が増えたと報告されている。 Sturm らが 2020 年に報告した 8 週間の無作為化試験では、健康な高齢者 52 名が週 1 回・約 15 分の散歩を続けた。「畏敬を意識して歩く」群は、ただ歩く群より、思いやりや喜びといった前向きな感情が増えた。特別な絶景に行ったわけではない。空の広さ、木々の細部、雲の動き——身近なものに心を開いて歩くよう促されただけだ。

「自分のこと」で頭がいっぱい、が和らぐ?

同じ研究では、自分に向く意識が和らぐ変化も見られた。 面白いのは測り方で、研究者は散歩中の自撮り写真に写る「自分の割合」を見た。畏敬の散歩を続けた群では、写真の中で自分が小さくなり、風景が大きくなっていった。自分の悩みで頭がいっぱいの状態から、少し視野が外へ開く——研究者はこれを「小さな自己(small self)」と呼ぶ。日々の苦痛の低下も報告されている。効果には個人差がある。

そもそも「畏敬」とは何か?

広大さと、いつもの枠組みで捉えきれない感覚、この2つで定義される。 Keltner と Haidt の 2003 年の整理では、畏敬は「知覚的な広大さ」と「既存の枠組みに取り込めない=心の調整が必要になる感覚」で定義される。星空、大きな木、歴史ある建物、音楽——対象は人それぞれだ。Piff らの 2015 年の研究(計 2,078 名)では、畏敬を感じやすい傾向が、人への気前のよさといった向社会的な行動と結びついたことも報告されている。畏敬は、自分の外側へ意識を開く感情だと言える。

どこまで期待していい?

気分をそっと支える穏やかな習慣、という位置づけがちょうどいい。 中心となる研究は 52 名の小規模なもので、自己申告も含む。だから「これで落ち込みが消える」といった話ではないし、そう読むべきでもない。つらさが続くときは、散歩に頼りきらず医療機関や相談窓口を頼ってほしい。そのうえで、顔を上げて歩くという小さな習慣が、日々の気分をわずかに軽くしてくれるなら、試す価値はある。

今夜の一手: 明日は「顔を上げて」歩く

明日の移動を一度だけ、畏敬の散歩に変えてみる。スマホをポケットにしまい、空の広さや街路樹の細部に、意識を向けて歩く。目的地に急ぐためではなく、大きなものに心を開くために。取り戻した時間の使い道として、自分の外側へ視野を開くこの数分は、思いのほか静かに効く。感じ方には個人差があります。